「工藝の道」 柳 宗悦 著を読みました

Category : その他
昔インテリア・コーディネーターの資格を取る時にこの人の名前を覚えましたが、どんな人なのか全く知らないままこの業界でこの歳までやってきてしまいました。すいません(笑)


「工藝の道」 柳 宗悦 著
工藝の道 (講談社学術文庫)工藝の道 (講談社学術文庫)
(2005/09/10)
柳 宗悦

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この本の以下のような箇所が特に印象的でした。

美は用の現れである。用と美と結ばれるもの、これが工藝である。工藝において用の法則はただちに美の法則である。用を離れるかぎり、美は約束されておらぬ。・・・・・実用を離れるならば、それは工藝ではなく美術である。用途への離別は工藝への決別である。その距離が離れるほど、工藝の意義は死んでくる。・・・・・用に即さずば工藝の美はあり得ない。これが工藝に潜む不動の法則である。美術は理想に迫れば迫るほど美しく、工藝は現実に交われば交わるほど美しい。


ここに「用」とは単に物的用という義では決してない。唯物的用というが如きは架空な概念に過ぎない。ちょうど「美だけ」ということが、唯心的虚空であるのと同じである。用とは共に物心への用である。・・・・・もし単に物への用なら何の美が必要であろう。・・・・・それはいち早く醜と結ばれるであろう。・・・・・美しいものは、用いたいではないか。用いたくない美しさ、かかる美を正しい美と呼ぶことはできぬ。美を欠く器は全き用器ではなく、用を欠く器は全き美器ではない。


もし日常品が用中の用なら、大衆の用器は中でも用の用となるであろう。民器こそは工藝の主要な領域である。人々はそれを「雑器」といい「下手物」と蔑んでいるが、美から云うならばそうではない。不思議ではないか、あの最高の美と呼ぶ「渋さ」の美は、最も深く雑器の中に現れてくる。


 工藝に個性の価値を認めぬか。
 個性を否定する見方は間違っている。しかし個性に止まることに満足するのはなお間違っている。個性美も一つの美である。だが最高の美ではない。もし絶大な個性があるなら、彼は超個性の域まで達しているであろう。個人工藝が美から云っても不満足なのは、個性を超越した美に達することが稀だからである。・・・・・個性の顕現にすら不満足なのである。まして個性すらもない作になんの美があろうか。個性のないことと個性を超えることとを混同してはならぬ。


工藝は元来自作自用に発し、ついに商品へと進んだ。そうして手工から機械へと転じた。このことは必然な趨勢ではあるが、裏面から云えば、健実から粗悪に、自由から冷却に、また親切から利欲に変わったことを意味する。かくして醜い民藝がなかった時代は終り、美しい民藝がありにくくなる時代が起こった。


僕にとって耳が痛いこともたくさん書かれていて、とても勉強になる本でした。

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香川県高松市のふじ家具センター代表藤澤琢磨です!家具修理・家具製作・家具デザインからソファ・椅子の張替えなどの話題をこのブログに綴ります。

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